私の幸せとは
産休に入ってから1ヶ月と少し。
それまでは妊娠しながらも、仕事、家事、育児に励む毎日。
朝は5時起きで、洗った食器を片付け、娘の幼稚園準備、自分と夫のお弁当づくり、そして朝食づくり。
その途中に娘が起床し、娘の相手をしながら家事をしつつ、娘に朝食を食べさせる。
ここらへんで救世主の祖母登場。
祖母に娘を見てもらい、私も朝食を食べ、仕事に行く準備をする。
(普通に祖母来るだけで恵まれてますよね、朝の支度1人でしてる人、本当に尊敬します)
6時半ごろ、夫起床。朝ごはんを食べ、自分の支度だけして7時に出勤。
私、娘のトイトレ、着替えをさせ7時半には出勤。
8時半から15時45分まで仕事。
仕事は時短勤務なので、常に肩身が狭いながらも図太く居座る。
定時ダッシュし、帰宅後即夕飯準備。
祖母が保育園のお迎えをし、家まで娘を届けてくれるので、その間に何としてでも夕飯をつくりあげる。
娘帰宅後はすぐにお風呂、ご飯タイム。
その後まったりテレビ見たり、娘の遊びに付き合う。
娘の機嫌を見ながら食器洗いや洗濯をこなす。
ちなみに妊娠半年くらいまで夫とは別居していました。またこのお話はゆっくりとしたいのですが、つまりそれまでずっと祖母と私での育児でした。
20時半ごろ寝室へ。そして21時頃には就寝。
9割の確率で私も一緒に寝落ち。
その後夜泣きがあれば対応。娘は布団を蹴飛ばしたり、お腹を出して寝てしまうので、夜中に3、4回は起きて、布団をかけてあげていました。
月曜日から金曜日まで毎日こんな生活でした。
こんなの当たり前でしょうか。
いや、祖母の助けがあるだけ楽してるでしょうか。
今考えると、私にとって完全にキャパオーバーでした。
だって月1、2回ペースで娘の風邪うつって風邪引くし、常にイライラしてたし、旦那や祖母に対してすっっごいヒステリー起こしてましたもん。
その時の私の幸せってお菓子食べることと夜布団に入ることでした。
自分の時間なんかないし、常に身体は肩こり腰痛酷くて痛いし、ずっと我慢の日々でした。
でもみんな同じだからと謎の我慢をし、毎日耐えていました。いつか必ずゴールがくるからと。
今、産休に入り、仕事の負担がなくなっただけで、心穏やかですもん。
もう、私2度と元の生活に戻りたくないと思ってます。
これ言ったら、もっと大変な人はたくさんいるから甘えんなとか、自分の都合で子ども産んだんだからもっと努力しろとか意見ありそうなんですけど、私もう無理ですわ。本気で嫌なんですわ。
学生時代、俗に言う良い仕事に就いて、細身のスーツ着こなして、高いヒールでカツカツ歩いて、良い車に乗って仕事に行って、仕事で評価されて、望んでサービス残業をする、休日はおしゃれして友人とカフェ行ったり、飲みに行ったりする、これが私の中で最高の人生であり、憧れの未来でした。
私は幸いにもこれが叶ってしまって、仕事についてしばらくは幸せでした。
でも100%幸せではなかった。
私が幸せを感じたのは育休中、毎日家で育児をしている時でした。
あんなに誇りを持って好きだと思っていた仕事がどうでもよくなった。
今の仕事辞めて、内職してでもいいから家にいたいと本気で思いました。
ただ、夫が持病有りの人なので、私が仕事を辞めるという選択肢はもはやあり得ず、泣く泣くの職場復帰。
仕事は好きなんです。
でも仕事だけしていればいいわけではないし、体調もいつも優れず、昔みたいに思うように頭も身体も動いてくれませんでした。
なので、私この産休、育休中に自分で仕事を起こしたり、お金の勉強を本気でやりたいと思います。
まずは積み立てNISAから。
出来ることからコツコツ、行動していきたい。
もっと私が私らしく、幸せに生きていけるように努力していきます。
努力と我慢の違い
こんにちは、りすです。
私が最近読んだ本の中ではっとした内容があって、今日はそのことをお話できたらと思います。
その本とは小田桐あさぎさんの書いた『嫌なこと全部やめたらすごかった』です。
この小田桐あさぎさんですが、YouTubeで本の紹介をされているハッピー研究所さん経由で知りました。
私、これまで仕事、家事、育児に追われて本なんて何年も買ってないし読んでない状態だったのですが、産休に入り時間の余裕ができたこともあり読んでみました。
仕事は好きなことしかしない、家事も外注しているなどすごくぶっとんだ内容なのですが(でも私は嫌いではないし、そこまでなれたらいいなと思うくらい)、あっという間に読めてしまいました。
その中に努力と我慢を履き違えるなという内容がありまして、
努力は楽しみながらでき、成果に繋がる。
我慢は本当は嫌なことをやり続け、その結果エネルギーがなくなる。
的なことが書いてあったんですよね。
それを読んで、今まで私がしてきたことってただの我慢だったの?とめっちゃ目から鱗。
例えばですが、
毎朝旦那にお弁当作ったりとか、常に綺麗な家であるように掃除したりとか、時間に間に合うように仕事に行って成果を出したりとか、子どものために疲れていても栄養バランスがとれた献立を考えて帰宅後に素早く作ることとか。
ごめんなさい、世の中の主婦から見るとめちゃくちゃ当たり前のことかもしれませんが、私にとってこれは苦痛でしかなかった。
旦那や娘に対する愛情はあるものの、でも辛かった。
しかも旦那や娘からそんなこと求められてないのに(旦那は部屋汚くても毎日惣菜でも弁当なくても全然文句言わないし、娘は偏食気味で作っても食べてくれない)、勝手に頑張って恩着せがましく私やってやってる感出して、相手が望む反応しなかったらヒステリー起こす(旦那限定)めっちゃめんどくさいやつだった。
仕事だって良い環境で楽しいこともたくさんあるけど、時間で縛られるのがすごく嫌だった。
他にもたくさんエピソードあるけど、これって努力じゃなくて、我慢だったのかとすごく腑に落ちました。
そもそもこの行動って私の母がモデルなんだけど、そう言えば母もいつもイライラしながら家事してたなという記憶があります。
でも女って結婚して子どもできたらそんなものなんだと勝手に思い込んでいました。
恐ろしい思い込み。つまり今私が謎の我慢をし続ける限り、大切な娘にも変な思い込みをさせてしまうことに気づきました。
だから、私とりあえず家事の我慢をやめる!と決意。
ここでみなさん思うのは、もっと旦那に協力してもらうですよね。
私もそう思いました。でもうちの旦那は持病があり、あんまり無理はさせられない人なので、協力してとは言いにくい。
ちなみに旦那は料理以外の家事は少しは出来る。洗濯物たたみは私より上手く丁寧なので様子見てお願いはするけど、基本は戦力外。
私、何かを考えて決定するという行為がすごく苦手でストレスがかかるという傾向に気づいたんです。
変に頭が働いて考えていることがうまくまとまらず、最後は考えることを放棄してしまう感じで。
例えば料理だと子どもがいるので買い出しは週1、2回。その時に献立を考え、購入するんですが、まず、献立を考えるのが苦痛。やっとこさ献立考えて作ろうとしても色んなアイデアがひらめいて(冷凍庫にあれがあったから追加で入れようかなとか)素早く作れない。(もはやADHD)
なので、決めたヨシケイ取る。
多少お金はかかるけど、毎日新鮮な食材が届けられること、栄養バランスが考えられていること、決まった献立を作ればいいこと、料理が出来ない旦那でも作れることなど私にとってメリットはいっぱいでした。
これで私の我慢が一つ減りましたが、まだまだ我慢だらけの毎日。
もっと私が楽しく生き生きと過ごせるように努力します(これが努力という言葉の正しい使い方!)。